#078 轍か殻か
世の趨勢は現在進行形で悪化し続ける某国の情勢であるとか、猛威をふるい始めて二年経った今も引き続き話題の尽きない某流行り病とか、今のところニュースはそのツートンカラーに綺麗に染まってしまっている訳ですが、このブログはあくまで私個人のミクロな視点からみた極めてプライベートな記録であるのでその辺には一切触れないこととします。
ここまできたら私と、手の届く範囲の愛すべき人々が最大限幸福でいられるよう、できる限りのことをしたのちに「これでひとまず完成」と己に言い聞かせるのみ。
人間一人でやれることなんてたかが知れてるわ。
それはそれとして私個人の生活でも結構な転換があって、その詳細はここで語れるようなものでないのですが(特定を避けるためでもあるし、今はまだ整理しきれていなくて書きたくないからでもある)、少なくともこの先の生活にあたって予め考えておかねばならないことはたくさんあるように思うので、ちょっと胸にわだかまっているツカエを記事にしてしまいたい。
要は、「せっかく考える暇をもぎとったんだから、今後しんどくならないように退かしておくべきアタマの中の障害をマッピングしとこうよ」ということ。
極めて個人的な内容であるうえ、私自身はこの方面の専門家でもなんでもないため、具体的な名称(制度とか、具体的な状況とか)はあえて避けますが、似たような経験がおありの方には多分なんとなく伝わるんじゃないかな。
まあ、問題は今置かれている状況ではないんです。
抱えている捻れをどう扱うか、その如何にフォーカスしたい。
という訳で、今日の記事はゲームの感想や電子機器のお話ではなく、ほぼ日記みたいなものです。
お暗いトーンにするつもりはありませんが、万が一あなたが読んだものに引き摺られやすい方なのであれば、お天気が晴れの日か、夕飯後の満ち足りたひとときに読んだ方がいいかも。
今何に困っているかといえば、内的・外的要因の両面からの圧に負けてひしゃげてしまった現実に対する認識、いってしまえば認知の歪みというやつ。
もちろん他にも対処すべき問題はありますが、それらはある程度なら物理的に解決できる……と思う。
心のありよう。
これがきちんと行儀良く正座できていれば割となんでも受け止めたり受け流せたり、とにかくダメージを最小にできる。
逆にあぐらかいてたりひっくり返ってたり、いずれかの部位に負担のかかる姿勢になっていれば、要らんダメージを受けるのは当然のこと、回復するための薬さえ反転して毒になりうる。
というか、なった。
この一二週間ほどで(各位の配慮や温情のお陰で)少しはマシになったが(感謝してもしきれないし、迷惑をかけた方面にはどうしようもない申し訳なさが残る……)、それでもことあるごとに顔を出す「自罰的思想」ともいうべきものが日々の営みを妨げる。
これではどうにも立ち行かない。
私は少しでも楽になりたい。というか、要らん苦痛はない方がいいに決まってる。
という訳で、まずは手始めに、現時点でどういう歪みに悩まされているか書き出してみよう。
対処法などはセットで書きません。というか書けません。それが分からないからここでのたくってる次第なので。
『他人の言動は正しい』
……本当にそうかあ? 自分にもそれなりの道理があるケースも相当多いぞ。
と、比較的フラットな精神状態の今なら言えるのですが、他者と相対したときの自分は何故か「目の前の人間の言動は受け入れるべきである」と信じてしまう。謎。
いや、流石にアヤシイ勧誘とかの極端な状況では拒否しますよ。
そういう「あからさまに危険である」と学んだ場面以外の、例えば誰かが不機嫌なとき、単純に虫の居所が悪いだけの理不尽なそれだとしても「何か正当な理由があってあのように振る舞っているのだろう」と判断してしまう。そしてそれを疑わない。ケアすべきだと感じてしまう。
または、誰かが決断を下したとき、それを私個人の基準で一度ジャッジすべきところ、他者が下した判断であれば正として受け取ってしまう。
(実際、それで困ったことは一度や二度ではない)
この際、私が覚えた反感や違和は全て置き去りです。
私とて物思う一本の葦なので、こういうことが無意識のうちに積み重なるとシンドくなってゆくのですが、もう本当に当然のようにこの早業をこなしてしまうので、ダメージの蓄積に気付いたころには十分にマズい状態に陥ってしまっている。
さて……ここで私が持つべきは「自分の軸をきちんと認識し」「他者から齎されるものは一度疑う」あたりの基準でしょうが、この定規を中庸の匙加減で上手に使いこなせるものだろうか?
一歩間違えると、他者の領域まで無遠慮に踏み込む無法者に成り下がりゃしないだろうか?
この綱引きに滅法弱い。
『発生した問題はすべて私に起因する』
……これ、どこ由来の思想だ?
ちょっと今ひとつハッキリしないのですが、少なくとも何か話しかけられるたびに「すいません」が枕詞になるのは余りに卑屈というか、悲惨というか、目も当てられない。
冷静に考えれば、問題が100%誰か一人の行動に起因するなんてことはほぼないはずなんですが、例えば30%くらいの過失があるとして、その部分だけクローズアップして「私にとっての100%」とでもいうような認識のしかたに陥ってしまう。視野狭窄。
これ、そういうバイアスを持ってる人間自身にとって毒なのは言うまでもないのですが、そういう風に振る舞うのを見た周囲の人間も同じ認識になってゆくので(端的に言うと、周りが“お前のせいでは?”と言いやすくなる)やめた方がいい。
だからといって手放しに他責的になれとは言わないけど。これも綱引き。
綱引き綱引きと言うが、もしかして二元論で考えない方がいいのかも。
書くうちに思考が凝り固まっているのを客観視できてきたな。
『評価されてはならない、または評価されるのは誤りである』
……いや褒められたら素直に受け取れよ!
これ、地味に難敵です。
褒める褒めないの話に限らず、本当に参ってた一二週間前は、もう何を言われても遠回しに私の至らなさを皮肉られているようにしか聞こえなくて、私どころか周りもしんどかったと思う。
ケアされても素直に受け取れず、逆に自分から積極的に傷ついてゆく始末。これでは調子も上向きようがない。ああ悪循環。
まあこの世間には間違いなくお世辞というものも存在する訳で、本音とリップサービスの見分け方講座なんて誰か開いてくれないもんですかね。ゆっくりさんたちがSoftalkとかで優しく解説してくれると嬉しいんだけども。
『私は劣っており、他者は私を常にジャッジする』
……こんなん思ってたら他者の目が気になって仕方ないわ!
果たして、アカデミックな世界ではいまいちきちんと定義されていないらしいものに自分を当てはめるて紹介するのが妥当かは分からんのですが、あえて言うならば私はHSPなるカテゴリに当てはまるらしいです。
とかく、他者の一挙手一投足に意識を引っ張られて仕方ない。ちょっとした刺激だけで頭がいっぱいになる。一生個室で過ごしていたい。いや嘘、一週間に一回くらいは対面で交流したい。寂しいもの。
それに加えて劣等感というか無力感というか、「得意なもの/専門分野/他者に誇れるものがあるべきところ、私にはない」という非常に根深い観念が悪さをして、こういう発想になるのではないかと思います。
これね、単純にキツい。
他人の視線が全部チクチクと痛く感じるし(誰も私のことなんか真剣に見ちゃいないとしても)(当たり前!)何をするにしても「それは自己研鑽に繋がるか?」と自責の圧をかけてしまう。
とはいえさ、大流行りした某マッキー原曲・某アイドルグループカバーの楽曲のように「私はオンリーワン」と言ったって、何かしらの項目において社会でジャッジされることはある訳じゃないですか。
このつまづきをラクにするためには、極論、人生に対する諦めが特効薬なのかもしれませんが、それは正直……選びたくない。つまらなくなるじゃないですか、生活が……。
とりあえず今思いつく厄介な障害どもはこの四つ。
あんまり楽しくない内容であるうえ、「じゃあコレに対してはこうしよう!」みたいな薬効のある言葉を載せられなくて申し訳ない。
これらは私がこれからやっつけていこうと(あるいは上手いこといなしていこうと)模索していく課題です。
今後いい方法が見つかればご紹介できるかも。でもどうかな。そういうのを紹介する記事、あんまり好きじゃないんだよな。こんなの人によるし。上から目線で人生を説けるほど徳を積んでないし。
ブログとしては投げっぱなしになったらごめんなさい。
書かなくとも、多分一生付き合ったりやり合ったりする問題なんだと思う、こいつらは。
まあ「どういう轍が思考に存在していて、どういう殻に閉じこもってしまっているのか」をマッピングしようという当初の目標についてはとりあえず一定の成果を上げられたと思うので、今日はこの辺で勘弁したるわ(?)。
次回は多分またゲームの話ができると思う。今年は面白そうなゲームが目白押しで大変ですね。カレンダーが彩り豊か。
まあ、ぼちぼちやっていきます。
それでは、また次の日曜日に。