#001 砂と流れろツイッター
驚くほどツイッターに向かない、そういう人間もいると思う。
これは好き嫌いではなく、性質だとか心のつくりだとか、そのレベルで向いていないという話です。
この記事は決してツイッターやユーザーに対してどうこう言うものでなく、使おうとしては毎度やめてしまう私自身を省みて、もうやらかさないでおこうと肝に銘じるものです。
または「使いたいのに何故か長続きしなくて切ない」と悩んでいる誰かに、こんな奴もいるのだと少しでも伝われば幸いです。
こんな前置きをしておきながら現在私はツイッターのアカウントを持っています。
佐々川トタン(@tarte_tutan)という名義で、開始はこの前の六月から。
ただ、使い方はどちらかというと少数派な方に分類されるかもしれません。以下のルールで運用しています。
・通常のツイートをしない。このブログを更新したときのお知らせと、ゲームのスクリーンショットを共有する時のみツイートする。
・フォローを一切しない。チェックしたいアカウントは非公開のリストで管理する。
・いいね、リツイート等の反応をしない。
実際に書き出すと「エッ、なんでツイッターやってるんですか!?」としか言いようのないトンデモストイックな条件ですが、今のところは案外上手くいっています。
共通しているのは、コミュニケーション=相互作用に繋がる行動を一切取らず、情報を受信するなら受信、発信するなら発信と、必ず一方通行になるように設定している点。
もちろん似たような理念で運用されているアカウントは他にも存在して、よく知られている(いや、割と限られた範囲の文化か……?)ものでいえば『壁打ち垢』と呼ばれる独り言アカウントがこれに近いですね。
その根底にあるのは、ざっくり言ってしまえば他ユーザーと関係性が生じると好きなことが出来なくなってしまう、だからそれを避けたいという意識です。
もちろん誰かに見られてはマズいような後ろ暗いことをしているわけではないのですが、他人の視線が過度に気になってしまう性質の人間は、好きなことを自由にするための場で他者との関わりを持ってしまうと、「こうすると変か?」「これは相手が嫌いかもしれない」「語弊、勘違いを生じるかもしれない」など色々なことを勝手に悩み始め、いつの間にか自分から自由を手放してしまいがちです。
例えば、突然舞台の上に放り出され「歩いてみろ」と言われたら、息をするのと同じくらい簡単なはずの歩行さえぎこちなくなってしまう。そんな感じの緊張が生じます。
大袈裟なたとえですし、そもそも舞台と違って誰も自身に注目したりしていないはずですが、理解していてもどこかで意識してしまうのが難儀なところです。
誰かをフォローすると通知が飛ぶ、するとこちらが知られてしまう。あるいは、フォロー一覧から何が好きか、誰が好きか知られてしまう(更に言えば、誰をフォローしないかも浮かび上がることもある)。
コミュニティに属してしまえば、いいねやリツイートも様々な意味合いを持ち始めるかもしれません。
場合によってはさして好きでもないものにハートマークを送ることも。
書けば書くほど「面倒くせえ! 考えすぎ!」と自覚しますが、もうこればかりは生来の気質なので勘弁して下さい。
多分こういうことを気にせずに(良い意味で)自分本位に使える強い人、または気にするなりに他人に合わせてしまえる柔軟な人は長続きするんでしょう。
正直羨ましいですね。そうありたかった。
あとは、過去にツイッターの見過ぎで時間を浪費してしまったことが多々あって、それが結構怖いから距離を置こう……というのもあります。
それが「通常ツイートしない」「リストで見る」の理由です。
とにかく140字以内というコンパクトでジャンクな情報量には魔力があって、疲れてるときや凹んでるときにもそれなりに簡単に摂取できてしまうから、第一の情報源に据えがちなんですね。
それに、何度も言われてることですが、この文字数でヒットしやすいツイートは大概無茶苦茶な決めつけや一般化が多くて、そういうのは往々にして毒になりやすく、かつ依存性が高い。時に「知らないとマズい」という焦りさえもたらします。
もちろん削ぎ落としちゃいけない部分まであえて削ぐことで面白みを生むこともあります。俗に言う「勢いで笑わせる」やつ。大好きです。
でもそれだけじゃちょっと危ない。
分かっているのにいつの間にかそればかりになってしまう。
この焦りを言葉にしようと考えているときに頭をよぎったのは、もうだいぶ昔の「この壺は満杯か?」のコピペ。
簡単に説明してしまうと、大事なことを優先しないとどうでもいいことで占められて厄介なことになるぞ、という教訓の話です。
どうでもいいことは全部無駄なことなのか? など一概に正しいとも言い切れない話ですが(現に私は無駄なことなんてないと考えたい立場の者です)少なくとも私は140字の枠組みの中にずっと収まっていたいとは思わなかったので、こうして厳格なルールを定めるに至りました。
やっぱり難儀な話ですね。
なんだかつらつら書き続けて纏まりがなくなってきましたが、とりあえずそんな考え方でツイッターを始めとするコミュニケーションツールとは距離を置いてます。
楽しく使いこなす人々を見るとなんだか寂しくなることもありますが、趣味の領域では誰かと語らうより思うさま自由でいた方が長続きしそうなので、しばらくはこのままで様子を見てみます。
いつか方針を変える日が来るかもしれません。その時、私はどんなことを指向するんでしょうね。ちょっと楽しみです。
今日はこのくらいで。
では、また次の日曜に。